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《麹町》とある会社のボスのつぶやき
  販促の話、現場の声、政治経済、人生、山など四方山話を綴っていきます。

NOTE 19)■小さな海岸の清掃(ボランティアに参加して Part2)


3日目です。
この日は、牡鹿半島ではなく、雄勝での作業に回りました。 雄勝というところは、石巻市北東部にあり、リアス式海岸に囲まれた漁業の盛んな地域です。 こう書いていても、津波の被害の激しさがわかってしまいます。

津波によりほとんどの浜は牡鹿半島同様壊滅的な被害をうけました。 みなさんの中に津波によってビルの上にバスが乗っている映像をご記憶の人もあると思いますが、 まさにその映像の地域です。

ここは硯で有名なところで、雄勝硯は全国一の生産量を誇り、国産硯の90%のシェアがあります。 (ゴールデンウィークの時にここの硯の回収に多くのボランティアが参加して、 津波によって散乱した硯を集めたり、500kgを越す展示用の硯の運搬などをしました。) また漁業が盛んで、ほたて、銀鮭、ほや、カキ、わかめ等の養殖が行われていました。 しかし、津波の被害は甚大で、漁業従事者には高齢の方も多く、 また養殖には多額の設備投資が必要な上、最初の収穫まで時間がかかる為、廃業を予定している方も多いようです。

そんな雄勝で今回作業を行うのは、波板海岸という小さな海岸です。 この海岸はWEBで探しても震災関連の情報以外ほとんど出てこない位、小さくて、静かで、美しい海岸でした。 小さな浜にはしっかりとした防波堤や防潮堤があり、津波対策としては過分すぎるくらいと思われていたようですが、 今回の津波はそれをはるかに上回る規模で押し寄せたました。 津波は高さ3〜5m程ある堤防を乗り越え、小さな集落の15戸あったすべての家屋を飲み込みました。

この海岸のガレキ撤去にNPOのボランティアが入ったのは6月に入ってからだそうです。 当初は浜を含めすべて海岸がガレキで埋まっていたということでした。 海岸のゴミは午前中取り除いても、午後には上げ潮にのって同じ位の量が流れ着いてしまい、とめどない作業だったようです。 10日ほど続けて撤去してようやく、海から大きなガレキはほぼなくなりました。

(これが今の状況ですが、美しい浜だと思いませんか。まだガレキがちょっと流れてきますが...)

そんな波板海岸での作業は、引き続き浜のガレキ撤去と、側溝のドロ出しです。 今日は狛江市のボランティアバスツアー含め約70名が参加しました。 メインは浜のガレキの撤去ですが、こちらはなんと先日の大雨で砂とガレキが大量に打ち上げられ、 砂がガレキに覆い被さってしまい、見た目は砂の山になっています。

したがって、作業としては覆いかぶさった砂を取り除いてから、ガレキを撤去するという気の遠くなるような作業でした。

私は今日早めに上がるので、側溝のドロ出しチームへ参加(石巻地区ボランティア用語、通称マッドバスターズです)。 ところがこれがなかなかどうして大変な作業でした。なにせヘドロが固まって側溝全部を埋めているのです。 側溝の板を外しつつドロをかき出すのですが、量が半端じゃなくて土嚢袋がみるみる一杯になり、 土嚢置き場に積み上げられていきます。 ドロの中からは大きな石や細かなガレキの他、普段の生活の名残もでてきます。 欠けてしまったCD、スプーン、アクセサリー、電動ドライバー等等...。 あの日までは普通に使われていたものと思うとゴミというには悲しいです...。

屈んだ作業で腰にきます。昨日のホタテ貝作業の後ですから、すぐに腰が悲鳴を上げました。 とはいえボランティアの皆さん女性を含め一生懸命作業しています。 こういうところにくると皆さんいつもより力が出るようです。

(ほぼ終わりに近づいた状況。この側溝がドロで埋まっているのです。)

お昼はこの浜で唯一原形をとどめていた区長さんの家で(もちろん津波の被害で1階も2階も大変な状況なのですが) ボランティアにカップヌードルの炊き出し?がありました。 支援物資として送られたカップヌードルが大量にあって、ボランティアの皆さんによければということで、振舞ってくれました。 ガスも水道も通っていないので、ご自分で水を運び、薪で火をおこしてボランティアの人に振舞っていました。 地元の人の温かい気持ちに接することができるひとときです。 そんな地元の人の温かさにも接し、ボランティアはまた来たいと思うのでしょう。

14:00過ぎ。作業は続いていたのですが、私は帰途につきました。 牡鹿半島、雄勝。どちらも小さな浜ですが、まだまだ終わりが見えていません。 東京では復興会議の提言がなされ、延長国会で予算案の審議が始まり、なんか復興への道筋がつくかの雰囲気もありますが、 被災した100日前から、取り残されている現場がいくつもあることも知っておいてもらいたいと思います。

おわり

<2011.06.28>


NOTE 18)■漁具の回収再び(ボランティアに参加して Part2)


初日(6/17)は歌津で発泡スチロールの現場を視察した後、前回同様河北のボランティアセンターへ向かいました。1ヶ月半ぶりに訪れて感じるのは周りの景色の緑が濃くなったこと。田んぼにも稲が植えてあるところが目に付きます。季節は確実に変わっています。

さて、翌日(6/18)。実はこの日は震災からちょうど100日目。
各地で百か日の法要が営まれます。 もちろん、ボランティアセンターの
近くの大川小学校でも。私たちボランティア一行は、朝センターを出発し、牡鹿半島の小渕浜に向かいました。 ここはゴールデンウィークに樹脂製のフロートを回収した小網倉浜より先、あの対策本部になっているコンビニの近くの漁港です。
向かう道すがらの被災地の光景は、ゴールデンウィークの時よりは幾分片付いているようでしたが、 まだまだ先は長いと感じさせるものでした。
小渕浜も小網倉浜同様カキの養殖などが主の漁港でしたが、津波によって壊滅的な被害を受け、今も行方不明者が数名います。もちろん海辺の建物のほとんどは、元の姿を残していません。山側に残っている家屋もほとんどが浸水の被害を受けています。

今日の作業は漁具の回収。といっても前回の樹脂フロートのような大物ではありません。 ホタテの貝殻です。 これはカキの養殖用に使われており、貝殻をヒモでつなぎ合わせ、養殖用のイカダから海に吊るします。 その貝殻の間でカキの稚貝を育てているのです。 前回小網倉浜で作業していた時も至るところで散乱しており、もう使いものにならないものと思って、バリバリ踏み潰していたのですが、 実はまだまだ使えるものだったそうです。 樹脂製フロートと比べれば当然価格は安いのですが、数が多く、改めて購入するとひとつの養殖場で数百万の費用になるそうです。 しかし貝殻はあまりに細かく大量なので、漁師さん達もあきらめていたのですが、 ボランティアの人間がそれを聞きつけ、少しでも使えるものは回収しようということになり、この作業をすることになりました。

8m四方くらいでしょうか、道路からどかされてホタテの貝殻が50cmくらいの高さで山積みされています。 しかし、重機などで集めたために現状はガレキも混じり、ヒビが入ったり、割れてしまって使えないものもかなり混ざっています。 それを人の手で選別し、別の場所に移すのです。これも見た時は果てしない作業と思われました。 しかし40名の人の手によって2日間でやり終えたというこです。 (自分は2日目の作業が別の場所になった為、きれいになったところを見ることができませんでした。)

昼休みの時でした。 一台の車がガレキの漁港に止まりました。中から喪服をきた4名の男女が降りてきました。 手には花束をもっています。岸壁まで来ると、手にした花束を海へ投げ入れ、「おばぁーちゃーん、どこにいるのー」と海に向かい叫んでいました。涙声と嗚咽...。 100日目の現実でした。

私たちボランティアも地震発生時刻である14:46には作業を止め、一分間の黙祷を捧げました。 100日たった今も解決していない現実に触れ、ただ海に向かい頭を下げ、目を閉じ、ご冥福をお祈りするばかりです。

この日の作業は15:00過ぎで終了しました。満潮になり埠頭の至る所が水没しはじめたからです。 細かい作業でしたが、かなり腰に負担がきました。ホタテ貝恐るべしです。

つづく

<2011.06.24>


NOTE 17)■発泡スチロールの山(ボランティアに参加して Part2)


6/17〜19の3日間再び被災地に行ってきました。
ゴールデンウィークに行って以来、1カ月半ぶり2度目のボランティアです。 なぜ再びボランティアに行ったのか...。1ヶ月半過ぎた現場がどうなっているのかも見たかったし、被災地の人とももうちょっと話がしたかったし、ボランティア仲間とも会いたかったし...。
でもそれ以上に、すごくやり残したことがあるんじゃないかといった感覚が意識から離れなくなってしまっているからです。 48年間生きてきた一人の社会人として、何かもっとできるんじゃないか、 いや、しなくちゃいけないんじゃないかといった思いが強くありました。そんな訳で2度目の被災地ということになりました。

6/17 今回初めに向かったのは、南三陸町の歌津地区です。
ここは南三陸町の中で、志津川地区と同様、津波の被害が大きかったところで、今もほとんど電気・水道が復旧していません。 この歌津には私が登録しているNPOの地区センターがあり、現地で活動しています。
NPOの拠点の近くには学校があり、その学校の通学路脇に 水産加工所から流れてきたと思われる大量の発泡スチロールが散乱していたのですが、 学校が始まる前に児童・生徒たちの危険がないよう、5月の中旬にボランティアで撤去作業を実施しました。 そちらの様子が、これ。

4日間かけて、道路脇からきれいに撤去しました。 もともと自治体の方で、自衛隊に撤去を依頼していたのですが、手が回らずに放置されていたようです。 学校が始まる間際になってもそのままの状況が続いていたため、 地元の人の要請でボランティアでとりあえずその場から撤去したのですが、 撤去といっても近くにガレキ置き場はなく、しかたなく林道を上った山の中の空きスペースを確保して、フレコンに入れたものを積み上げたのでした。
それがこちら。

これは今回私が行って撮影してきたものです。
1ヶ月たっても動きなし...。 どうも処理が後回しになってしまっているようです。 いくら山の中の目立たないところにあるといっても、この量です。
早く処理をしたいと思っているのですが、この先の作業は費用も発生する
ため、ボランティアではどうにもならず...。 行政の処理待ちしかないのでしょうか。 確かに現状、人の生活に邪魔になるような場所でもないし、毒性もない ので、優先順位的には低いということなのでしょうが...。

弊社でも取り扱いのある素材なので、とっても気になります。目立つし。
石巻漁港の方も見てきましたが、被災した水産加工場の中に発泡スチロールが山積みされ、あふれているところもありました。
発泡スチロール業界の方々、何とか早く片付ける良い方法ないでしょうか。
減容してリサイクルしていただけると一番いいと思うのですが...。 もう地元産廃業者さんの仕事の範疇ということになるのでしょうか。 一日も早く減容・撤去されることを心より、祈ってます。

(何かこの件でいい情報お持ちの方、ご連絡頂ければ幸いです。)

つづく

<2011.06.24>


NOTE 16)■義援金と寄付金


皆さん義援金と寄付金って使われ方が違うということをご存知でしたでしょうか。 義援金とは直接被災者に贈られるもので、寄付金は復興支援事業の為に使われるものだそうです。

そこで以前に書いたブログの中身が気になって、もう一度調べてみました。

イオン:災害復興支援募金→各県(寄付?義援金?
セブン&アイ:東日本震災義援金
台東区・川口市義援金として受付
スポーツ・芸能関係:日本赤十字社に寄贈→東日本大震災義援金
NHK:東日本大震災義援金
日本テレビ:東日本大震災緊急募金→各県(寄付?義援金?
TBS:東日本大震災 JNN・JRN共同災害募金→日本赤十字社に寄贈
→東日本大震災義援金
テレビ朝日:ドラエモン募金→各県(義援金)、日本赤十字(義援金)、
NGO(活動資金)、国連WFP協会(活動資金

概ねきっちり書いていましたが、イオンと日本テレビがはっきりしませんでした。

でも皆さん募金ってこんな状況だと知っていました? どこも同じと思ったら結構複雑なんですね。 いろいろ寄贈先や用途があるんなら、募金する際にどう使うのかもっと、はっきりして欲しいところもありますよね。
すくなくとも、直接被災者に渡る義援金としてなのか、復興支援の為の活動資金としてなのかは ちゃんと明示したほうがいいと思います。 大切なお金が、税金同様何に使われてるのかさっぱりわからないってことにはなって欲しくないですね。 (テレビで評論家が、支援物資もボランティアも迷惑になることがあるから、募金が一番みたいなことを言ってましたが、 そこまで言うなら、上記のようなことも詳しく説明してもらいたいものです。)

さてそれでは義援金や寄付金として集められたお金が今どうなっているのでしょうか。 寄付金はおそらく復興活動資金として、もしくはいろいろな基金の財源として使用されのでしょうが、 集まった金額の公表はされていますが、どのように使うか、使ったかについては公表されていません。
自治体の財源のひとつになるということでしょうか。 (詳しいかた、ご連絡お待ちしています。) で、義援金はというと、各県では日本赤十字社や中央共同募金会からの義援金と、直接県によせられた義援金を併せて、「義援金配分委員会」によって、県から各市町村に配分されます。

日本赤十字社について調べてみました。
日本赤十字社には6/17現在 約2500億の義援金が集まっています。
ホームページには詳細が書かれており(できればワンクリックで見られるようにはして欲しいのですが...)、 6/20現在第1次配布(4/13〜6/17)で841億円、第2次配布(6/17)で1446億円が、 各県に設置された「義援金配分委員会」へ送金されています。 配分の考え方「死亡・行方不明者:1人当り35万円」、「住宅全壊(全焼):1戸当り35万円」、「住宅半壊(半焼):1戸当り18万円」、「原発避難指示等:1世帯当り 35万円」 各県に直接寄せられた義援金が、上記金額に上乗せされ、被災者の手元に行くので、 実際被災者の方が受けとる金額はもう少し多いようです。ですが...。
被災者の方の公平性を期すため、被災状況の調査を経てから、支給申請を受付て、 支給については、各県の義援金配分委員会から各市区町村へ、そして被災者へとなるので、 実際被災者の方の手元に届くのは時間がかかっているようです。

支援物資も個人の受付が制限され、ボランティアに行く余裕もない。 せめて募金だけでも...。 少しでも役に立ちたいと思うみんなの気持ちの募金が、実はいろいろな流れがあって、 今ようやく被災者のかたに届きはじめたと言ったところでしょうか。

私がこの義援金について、このブログで書いたのは、私達が身近で行っている募金についてどうなっているのか、 気になってしまったからです。 それはいろいろな団体や企業が被災地支援の為として行っている募金が、 ちゃんと現地に届くのか、ちゃんと迅速に有効に使われているのか、そんな疑問があったからです。 義援金を募金することの意義についてではありません。

義援金の件で、昨日あるテレビ番組で女性の経済評論家が、義援金が日本の経済を停滞させるといった発言がありました。 趣旨としては、義援金の配布に時間がかかって消費に回っていない。 義援金出した方も所得が減り、それにともない支出も減り、消費が落ち込んで経済を停滞させるといった内容でした。 一時的な経済論としては、そうなのかもしれません。しかし、
そこにはがんばろうと思ってもそれができない被災者の人達がいて その人達の為に、やりくりしたお金で何とかしたいと思って募金している人がいるんです。 単純なお金の回りかたの問題で、義援金が経済的にマイナスで無意味なような発言はどうかと思います。 全国メディアで発言するような経済評論家なら、義援金がどうしたら経済的に有効に使われるようになるかを考えて、提案すればいい。 この大震災の中で、国民の気持ちを考え、その上でいかにみんなが納得した社会が築けるかを考えて欲しいと思います。 右肩上がりの経済じゃなきゃ日本は終わりみたいなヒステリックな経済論に、実はみんなうんざりしていると思うのですが...。

追伸:6月17日〜19日の3日間またボランティア活動してきましたので、
次の機会にご報告致します。

<2011.06.22>